応援することの意義

 




ブログを始めてから約1年が経ちました。

 

ブログでもTwitterでも、世の中には様々な情報が溢れていて、自分がまだ何者でもない時にはまずは情報を発信することが良いという話を聞きました。

 

発信力が少ない内からダイアリー(自分の日記的な話)を書いても誰からも読んでもらえない、という話を聞いて、ある意味でそれは絶対に正しくて、日々試行錯誤しながらブログを書いているのですが、好きなことを書いている時期もあれば、それを反省し、情報を提供することを意識して書いてみたりした時期もありました。

 

収益化、という言葉が重くのしかかってきて、勿論多くのブロガーさんと同じようにブログから収益を、という気持ちはありますし、ブログを収益化させて自由な人生を謳歌するぞーおっしゃー!お刺身ジャンジャン持ってきてー!みたいなテンションで始めたというのが正直なところなのですが。

 

びっくりするくらい上手くいかないんですよね。びっくりするくらい。

 

この1年、様々な情報に踊らされ、下手な踊りを舞い、踊り疲れて足を挫いては自分はこんなもんじゃないと、自分はどうせこんなもんだよなぁ、、、のシーソーゲームを繰り返していました。

 

何回も絶望して、才能がないのは明らかで。やめるか、もう無理か。もうダメか。

 

そんな感覚に潰されそうになりながらも、救われた瞬間が何度もありました。

 

それは、自分のブログを読んでくれている人の存在でした。

 

わざわざ自分の時間を使ってまで僕の書いた記事を読んでくれる人がいること。

 

マンガアプリ『アル』で書かせて頂いた記事をTwitterでいいねや、リツイート、時にはコメントまでつけて『面白かった』『こんな記事が書けるようになりたい』なんて言ってくれる人まで居てくださって、冗談抜きで救われてました。

 

自分を応援してくれる人の存在が、なんと有難いことか。それを実感した1年でした。

 

なので、自分も、出来る限り、この人いいな。この人凄いな、と思った人のことを言葉や文章に起こして応援したいと思いました。

 

と、同時に、自分にお金を払ってでも応援したい、と思えるくらいの人にならなければいけないということもすんごく思いました。

その対価を返せるように。あなたが使ってくれたお金で、あなたに良い、良かった、面白かった、と思える体験を作れるモノを提供する。この循環を必死こいて作っていかないといけないよな。と、そんなめちゃくちゃな蛇行をしつつ、そんなことを実践していきたいと思っている次第です。

 

本題の話です。

 

応援することの意義、についてです。

 

応援することって、僕は結構、楽なことだと思ってたんですよね。結構最近まで。

めっちゃ頑張ってる人って、世の中にたくさんいるので、その中で、パッと目についた頑張ってる人を応援するって、楽っちゃ楽じゃない?と。

 

僕、プロレスが好きなので、その中でも特に好きな選手が何人かいるのですが、それでも、その選手のことを応援している瞬間って、本当に人生の一瞬でしかないんですよね。シャイニング・ウィザードです(よく分からんという方、忘れて下さい)。

 

しかも、例えばチケット代を払って直接応援すれば、直接声をかけることもできますが、多くの場合、相手からすれば、自分を応援しているということを認識すらしてないですよね。

僕がものすごい武藤敬司を応援していることを武藤敬司は絶対に認識していないですもんね。

だから、ずっと応援し続けるのも、実は中々に応援する側のモチベーションが続かないなぁ、と思ったりもするんですね。




 

で、最近思ったのが、自分のことを認識してくれる範囲の近さの人を、応援することってすごくいいんじゃないかなってことです。

 

応援された人も、応援している僕のことを少なからず認識しているので、身近(といえるかどうかはさておき)な人から間違いなく応援されているという事実は、すっごい喜びなのではないか、と思ったんですね。

 

別に巧妙な計算があるとかでは全くなくて、自分もそれなりに頑張って、応援されシロを作りつつ、身近な凄い人の凄さを情報として伝えていくことで、お互いに相乗効果があるんじゃないかなーと。

 

で、僕、前述しましたが、マンガアプリの『アル』というところでライターをさせて貰ってるんですが、同じライターさんで凄い記事を書かれている方がいて、単純にファンなんですよね。ライターという立場を利用して、比較的近い距離でその過程を見れるので、ファンとしては有難い話です。

 

ライター同士なんで交流しやすいです。同じクラスのクラスメートみたいな感じです。まあ、頭の良さは全然違うんですけど。中学校とかでよくあるやつです。

 

なので、毎月、ライターさんのこの記事が面白かったよっていうまとめ記事を書いたりしてるんですが、それもただ応援したいっていう気持ちで書いてるのと、本当に良い記事が沢山なので、1人でも多くの人に届いたら良いなぁっていう想いでやってるんですね。

 

もしかしたら、自分が書いた記事に興味持ってもらえて、そこから『アル』の記事を色々見てもらえるかもしれないので、そういう意味ではもっと自分に影響力をつけたいなって思います。そしたら、自分が応援したい人にもっと喜んでもらえるんじゃないかなーと思ったからです。

 

んで、先日は、ちょっと趣向を変えて、あるライターさん1人にフォーカスして僕なりの考察も添えて応援記事的な、この人凄いんだぜ!オレがいうまでもないけどな!的な記事をnoteで書かせていただきました。

6月のアルライターさんのご紹介記事はコチラ

 

そしたら、ご本人が読んでくださって、ありがたいことに非常に喜んでくださって(もしかしたらお世辞かもしれないが僕はお世辞すらも100%真に受けることができる特殊能力の持ち主です)、あろうことかnoteのサポート機能を使ってサポートまでしてくださったんですよね。神です。

 

勿論この記事書いたらサポートしてくれるかなエヘヘへ、、というよこしまな気持ちで書いた訳でもなく、純粋に応援したい気持ちからでた行動なのですが、喜んで貰えたのかと思うと、なんだかすごく、嬉しかったんですよね。

これを、僕がもし武藤敬司の応援記事書いてたら流石にこういう気持ちにはならなかったのかなぁとか思ったりもしたんです。

距離が有り過ぎる人の応援って、ちょっと虚しくなったりするよな、という瞬間を感じます。

 

だからジャスティン・ビーバーやキンプリを応援するのはよろしくないとかそんな話では決してないんですけど、ある程度の近さを持つ人を応援する行為って、すごくお互いにとって良いんじゃないかなと思うのです。

 

願わくば、僕はそういう、身近な素敵な人の魅力を拡散できるような応援を続けていける人でありたいと思っています。

そんな想いを込めて有料ブログにあなたの記事を書きます、というオプションをつけました。良かったら『もり氏の無謀が過ぎるマガジン』無料部分だけでも見てね。

世の中にはたくさんの凄い人がいて、ブログの世界だけで見ても、月に何十万PVも閲覧され、100万円以上稼いでいる人が当たり前ですが、注目を集めています。

そんな神々の方々と自分を比較してしまって、自身の脆弱さに死にたくなったりするのですが、よく考えると、自分の世界を形作ってくれている、身の回りの人ってそんなに多くないよなぁ、と。

 

実感出来ない、大きすぎる数字ばかりに踊らされてないで、周りの人を勝たせる行動をした方が人生素晴らしくなるんじゃないか説を只今検証中です。

 

最後に、たまたまテレビから流れてきたスティーブ・ジョブズの言葉を贈ります。

 

素直に自分の心に従うこと。

 

自分の直感は、なりたい自分を最初から知っているのだから。